日本近代文学が生まれえた根拠

 日本文化の歴史において、外来の強力な文化の流入による最初の大きな断絶が7世紀にあり、その衝撃が万葉集から源氏物語に至る日本文学の最初の豊穣をもたらした。
 二番目の大きな断絶は明治維新を契機とした西欧文明の流入なのだけれど、近代日本の知識人が思ったほど大きな断絶であったのかはわからない。丸谷才一の最近の長編小説は、19世紀日本文学学会の日本文学研究者の女性を巡る物語だったけれど、現在の時点から当時の文学を見ると、明治維新で断絶しなかった部分の重要性が見える。
 戦後日本では、敗戦による欧米文化の流入が大きな断絶を生んだと思われたのだけれど、敗戦による断絶は、明治維新による断絶程でもなかったのではないかと思える。
 以前の日記に、学生の頃、どうして日本文学というものがあるのか、どうして文学を創作するのかという問いと、どうして学生運動というものがあるのか、どうして運動に関わるのかという問いは私にとって同じだったと書いた。
 どうして日本はこんなに苦しいんだろう。自由とか平等とか民主主義とかいう観念が、先進国から輸入すればすむものならば、運動だの日本文学だのは無駄なものだ。先進欧米諸国の文物を日本語に翻訳して伝える人間がいれば充分だった。
 戦後日本の言論空間で、民主主義の押し付け等という言葉が通用していたのも不思議なことだ。例えば民主主義が外から押し付けうるものなら、日本近代文学などが存在しうる余地はなかった。某超大国の高官の、日本で成功したようにイラク民主化するのだという言説に対して、日本の文学者からまともな反論がなされないということと、現在の日本における文学の不毛とは別のことではない。
 学生運動市民運動があるということが、日本文学が存在しうる根拠であり、そして、その根拠として、日本で経済が機能し続けてきたということがある。
 日本人は器用だったから西欧の資本主義経済に順応できた等という言説が一つの常識となっているのも不可思議なことだ。経済は、器用さによって機能しうるようなものではない。
 網野善彦が、明治期に、西欧哲学・思想用語は造語されたけれども、株とか手形とか主な経済用語は、江戸時代に使われていた言葉がそのまま用いられたと書いている。それは、江戸時代を通して、西欧近代に発生したような経済体制が徐々に形成されていたということに他ならない。
 世界経済の中心である都市にのみ独創的な思想・文学が生まれえたということは、皆認めるけれども、それが、どういうことであったのかは理解されていない。金持ちで暇があるから優れた思想・文学が生まれるものならば、経済後進国のほうが、貧富の差が激しく、社会変動も少ないから、何もしなくても食える人間はたくさんいたりするのだ。
 近代日本における言説では、欧米の先進知識を身に着ける知識人の役割ばかりが強調されたけれども、一握りのエリートが先進の知識を身に着けるだけでは、経済は機能しない。人民大衆のレベルで、歴史的にエートスが形成されていなければ、経済は機能しない。
 そして同じく、一握りのエリートが先進の知識を身に着けるだけでは独創的な思想や文学は生まれえない。独創的な思想や文学が生まれるには、人民大衆の言説があるレベルに到達している必要があり、それには、経済がある期間機能して、様々な言説が歴史的に形成されている必要があった。
 明治以前から続く経済社会が存在したということが、日本近代文学が生まれえた根拠だった。
 以前の日記に、河野多恵子が日本では自殺した作家が残ると書いていると書いた。自殺した作家が残るというと当たり前のようだけれども、自明のことではない。かつて日本に、自殺した作家が残る時代があったと言ったほうが良いと私は書いたけれども、それはこういうことだ。人を殺しうる言葉、人を死に追い込む現実の力を持った言葉で、明治以前からの歴史の連続性のうえにないものは一つもないということだ。

 以前の日記に私は次のようなことを書いていた。