(-2)LDK 「root in work」

 作・演出の岸井大輔は、役者と一緒に町を歩くお散歩演劇POTALIVEの主宰だ。岸井は「僕には町の建物も群集も演劇に見えます。行動と対立、つまりドラマがあるからです」と語っている。この考えは、今回の舞台にも貫かれていた。
 劇場に入ってみると、客席がない。観客が自由に歩き回る形になっていて、役者と観客、見るものと見られるものとの間に境界が無いのだった。入り口で渡されたチラシを手に持っているかどうかで観客が識別できるだけだった。 
 しばらくすると、水のなかのものが底に沈殿するように、観客は壁際にいた。我々に内面化された秩序の勝利かと思えるが、場内のいくつかの場所で演劇が進行しているために、やはりまた、観客は動き始めることになる。
 駅にあるような伝言板が隅っこにあって、時刻と伝達事項を白墨で書いては、また消して書く人がいる。
 「夏は海から来るんだ」という詩的な言葉を繰り返し朗誦する女性がいる。
 真ん中に調理器具があり、途中で料理する人もいて、目玉焼きの焼ける香ばしい香りがしたりする。
 観客がドラマの主役となることもある。白粉を塗りたくった若い女性が中年男性の観客と腕を組み、ときおり男性のほうを向いてたおやかな笑みを浮かべながら静々と歩いていく。女性に微笑まれると男性も引きつったような笑みを浮かべる。突如、女性が驚愕の表情を浮かべ「お父さん」と叫んで、走り去っていく。遠くから恐怖に震える瞳で男性を見ている。男性は強張った笑みを浮かべている。何も知らない観客であることで生まれえたドラマだった。
 帰りがけ、劇場の出口で二人のおばさんが会話していた。
「わけがわからない。でも、何か筋はあったのよね」
「知らない」
 このセリフで完結した一つの演劇があったと私は思った。このセリフを役者が言ったら陳腐だったろう。観客が参加しなければ成立しえない演劇が確かにあるのだ。