発見の会「革命的浪漫主義」


 二宮金次郎の金ぴかの銅像から物語が始まる。農村の子供達が二宮金次郎を讃える歌を歌っている。それは、幕末の農村から昭和の農村にまで続いていた歌声で、それが日本における革命的浪漫主義の揺籃だった。
発見の会は64年に結成された。40年にわたって演劇活動を続けている、彼等の少年時代にも聞かれた歌声だったろう。あの歌声に、自分達の革命的浪漫主義の根っ子があったと思えるのだろう。
 金次郎が育ったのは、幕末の荒廃した農村だった。やがて、天保の改革が強行され、鳥居耀三や遠山金四郎のような特異な人物を生む激動の時代だった。
 従来の百姓一揆に飽き足りない若者達が金次郎を取り囲む。窮乏や役人の不正を殿様に訴える従来の一揆のやり方では駄目なんじゃないか、一揆の民営化が必要なんじゃないかと金次郎に詰め寄る。しかし、金次郎に、本当に殿様に刃向かう覚悟があるのかと逆に問われて、若者達は言葉に詰まる。金次郎に、幕藩体制に刃向かうのは討幕運動に決まっているだろうと啖呵を切られて、若者達は驚愕する。
 途中、ドッグマンとドッグイーターとの熾烈な活劇が繰り広げられる。実は、人類史の暗部で、ドッグマンとドッグイーターとは生死を懸けて闘ってきたのだった。
 この活劇は、決着なしで、尻切れトンボに終わる。日本近代における革命的浪漫主義者の闘いのように。
 昭和の新たな激動の時代になって、海軍の青年将校達が犬養毅を取り囲む。かつて百姓の若者達が金次郎を取り囲んだように。犬養の落ち着いた態度、慈愛溢れる眼、情理を尽くした言葉に、青年将校達と犬養の間には理解が生まれたように見える。犬養は「話せばわかる。別の部屋に行ってじっくり話そう」と穏やかに言い、彼等はゆっくり歩き始める。そのとき、一人の将校が「問答無用」と言って銃を向ける。
 この銃を向けるというのは、進歩なのだろうか。進歩というのは、そのようなものだったとも言えるだろう。日本は近代化を経て、確かに進歩していたのだった。
 最後にもう一人の金次郎、葦原金次郎が登場する。犬養毅の暗殺を聞いて、葦原将軍は「犬養が狂犬に咬まれては洒落にならんのう」と言って笑う。
 葦原金次郎は、葦原将軍とか葦原天皇と呼ばれ、幕末から昭和初年まで生き、その50年以上を精神病院ですごした。精神病院は、日本近代に生まれた空間だった。日本近代は、精神病という観念を必要とした時代だった。当然、精神病者を閉じ込める施設を必要とした。
 日本近代を精神病院に閉じ込められた人間は、日本近代の総体を笑いうる位置にいた。日本近代を笑う人間は、閉じ込められていなければならなかった。一億総火の玉となって近代を邁進するのに、狂人を自由にしておくわけにはいかなかったのだ。
 精神病院に閉じ込められながら、愛され、ジャーナリズムに明るい話題を提供し続けた葦原金次郎二宮金次郎は、日本近代の陰画と陽画だった。
 葦原金次郎犬養毅は、幕末に生まれて、ほぼ同じ時代を、日本近代のほぼ総体を生きた。一人は日本近代から排除された空間で、もう一人は日本近代の中枢で。
 この二人は、似た精神を持っていたように見える。葦原と犬養は、同じ眼で、日本近代の総体を見ていた、と思える。