どうしてそんなにたくさんのことを知ってるんですか

 今から100年程前、フランスはパリでの社交の集いで、アナトール・フランスに「どうしてそんなにたくさんのことを知ってるんですか」と尋ねた者がいた。それは誰でしょう?というクイズをあかねで出したことがあった。
 そのときあかねにはモアヌさんやレオ丸君がいたのですが、
レオ丸「ヴェルレーヌですか」
「時代が違うだろう」
レオ丸「ジイドですか」
「違う。あ、でも近いな」
普通なら、当時の有名な女優か社交界の貴婦人をまず思い浮かべるかと思ったんですが、さすがにレオ丸君ですね。
マルセル・プルーストだ。で、アナトール・フランスは何て答えたと思う?」
モアヌ「何て答えたんですか」
「私は若い頃、君のようにハンサムじゃなかった。だから部屋にこもって本ばかり読んでいた。だから私はこんなにたくさんのことを知っているんだ」
と答えたんですよ。社交界でちゃらちゃらしている若者がフランス最大の文豪とみなされ、自分が通俗作家とみなされることになるとはアナトール・フランスは夢にも思わなかったでしょう。
 さて、マルセル・プルーストが質問を発してからおよそ100年程後、花の都パリを遠く離れた極東の島国日本で、ある一人の少女が偶然プルーストと同じ質問を発することになる。駒場浅田彰の講演が終わった後の飲み会で、タカちゃんは浅田彰に、
「どうしてそんなにたくさんのことを知ってるんですか」
と尋ねた。タカちゃんは後で知り合いに、どうしてあんなばかな質問をするんだ、と責められたらしいけど。浅田彰は、
「学生の頃、どうして左翼はこんなにろくでもないんだろうと思った。それでたくさん本を読んだ。だからたくさんのことを知ってるんだ」
と答えた。
 さて、しばらくして、タカちゃんが、
「あーあ、眠くなっちゃった。帰ろう」
と言ったら、浅田彰が言った。
「なんだ、おめえもう寝るのかよ、はええな」



コメント

モアヌ

最後のオチは聞いたことがなかった、しかし見事だなー。それにしても果たして「ダモ」に載ってるタカちゃんの小説は完結するんでしょうか(というか、ダモ出るのかな)。

ナベサク

「ダモ」に載ったタカちゃんの連載小説の第一回目は秀逸でしたね。
続きが楽しみでしたが、もう二年以上になるのに、続きが発表される気配はなく、タカちゃんの行方もようとして知れません。

レオ丸

次は、ドイツ哲学とロシア文学の受容をみれば日本の世界経済からの距離がその二国の間にあることがわかるという話を書いてください。

ナベサク

藤村・漱石はいかにして国民的作家となったか

 以前、文芸評論家絓秀実が、国民作家として島崎藤村田山花袋を挙げ、日露戦争後の時代に、藤村の部落差別の「破戒」と花袋の女性差別の「布団」が書かれたとレクチャーで語った。私は、その話を受けて、日本近代の始まりに、部落差別と女性差別が、国民を形成するうえで強力に作用したのではないかと語ったのだった。国民的作家の名に値するのは藤村と漱石であって、女性差別の古典としては「虞美人草」や「三四郎」等の漱石の諸作品があり、「布団」は一つのマイナー文学にすぎなかったと思うけれども。藤村と漱石とは性に憑かれた人間であって、男女関係という共同体を超える交通の場に固執することで国民的作家となったのだった。

日本近代文学を荷った階級

中村真一郎が「幕末、日本の文化は爛熟していた。漢詩の世界には、同時代19世紀後半フランス象徴派の詩のレベルの成熟があり、都会の知識人は恋愛や性の自由を謳歌していた。明治になって田舎者の文学者、島崎藤村だの田山花袋だのが、都会的な成熟した自由な文化を理解せず、性のタブーや封建的な道徳を持ち込んだ」というようなことを言っている。幕末のほうが性愛が自由だったというのは、その通りだったかもしれないと思う。プルーストの「失われた時を求めて」の話者は、タレーランの「大革命前を知らない者は人生の真の歓びを知らない」という言葉を引いた。崩壊寸前の旧体制の下にこそ限りない自由がありえたというのはわかる。藤村や花袋への批判は、乱暴な論のようだけれど、この中村真一郎の言説には、日本近代文学の本質をついた所がある。文学とは、何よりもまず野蛮な力だった。
 (日本近代文学の起源に位置する)藤村や花袋の(生まれ育った)田舎とは、自然のみしかない田舎ではない。既に産業が成熟し貨幣経済の浸透した田舎だった。日本全国に浸透した資本主義経済の下で地方に蓄積された経済力によって、明治維新が実現した。日本近代文学は、その経済を担った階層の自己表現として現れた。明治維新に政治権力として現れた力が、数十年の成熟の後に一つの思想として現れた。
 日本には西欧と違って階級が無かったと言われることがあるが、それは、日本では西欧におけるほど徹底して歴史が検証されることがなかったというだけのことではないのか。歴史は見方による。日本には西欧のような階級はなかったと言うこともできる。が、全国規模で長年機能した資本主義経済の結果として日本全域に張り巡らされた一つの階層があって、日本近代における主だった政治家や文学者のほとんどはその階層から生まれたと言うこともできるのだ。

日本近代文学が生まれえた根拠

 日本文化の歴史において、外来の強力な文化の流入による最初の大きな断絶が7世紀にあり、その衝撃が万葉集から源氏物語に至る日本文学の最初の豊穣をもたらした。
 二番目の大きな断絶は明治維新を契機とした西欧文明の流入なのだけれど、近代日本の知識人が思ったほど大きな断絶であったのかはわからない。丸谷才一の最近の長編小説は、19世紀日本文学学会の日本文学研究者の女性を巡る物語だったけれど、現在の時点から当時の文学を見ると、明治維新で断絶しなかった部分の重要性が見える。
 戦後日本では、敗戦による欧米文化の流入が大きな断絶を生んだと思われたのだけれど、敗戦による断絶は、明治維新による断絶程でもなかったのではないかと思える。
 以前の日記に、学生の頃、どうして日本文学というものがあるのか、どうして文学を創作するのかという問いと、どうして学生運動というものがあるのか、どうして運動に関わるのかという問いは私にとって同じだったと書いた。
 どうして日本はこんなに苦しいんだろう。自由とか平等とか民主主義とかいう観念が、先進国から輸入すればすむものならば、運動だの日本文学だのは無駄なものだ。先進欧米諸国の文物を日本語に翻訳して伝える人間がいれば充分だった。
 戦後日本の言論空間で、民主主義の押し付け等という言葉が通用していたのも不思議なことだ。例えば民主主義が外から押し付けうるものなら、日本近代文学などが存在しうる余地はなかった。某超大国の高官の、日本で成功したようにイラク民主化するのだという言説に対して、日本の文学者からまともな反論がなされないということと、現在の日本における文学の不毛とは別のことではない。
 学生運動市民運動があるということが、日本文学が存在しうる根拠であり、そして、その根拠として、日本で経済が機能し続けてきたということがある。
 日本人は器用だったから西欧の資本主義経済に順応できた等という言説が一つの常識となっているのも不可思議なことだ。経済は、器用さによって機能しうるようなものではない。
 網野善彦が、明治期に、西欧哲学・思想用語は造語されたけれども、株とか手形とか主な経済用語は、江戸時代に使われていた言葉がそのまま用いられたと書いている。それは、江戸時代を通して、西欧近代に発生したような経済体制が徐々に形成されていたということに他ならない。
 世界経済の中心である都市にのみ独創的な思想・文学が生まれえたということは、皆認めるけれども、それが、どういうことであったのかは理解されていない。金持ちで暇があるから優れた思想・文学が生まれるものならば、経済後進国のほうが、貧富の差が激しく、社会変動も少ないから、何もしなくても食える人間はたくさんいたりするのだ。
 近代日本における言説では、欧米の先進知識を身に着ける知識人の役割ばかりが強調されたけれども、一握りのエリートが先進の知識を身に着けるだけでは、経済は機能しない。人民大衆のレベルで、歴史的にエートスが形成されていなければ、経済は機能しない。
 そして同じく、一握りのエリートが先進の知識を身に着けるだけでは独創的な思想や文学は生まれえない。独創的な思想や文学が生まれるには、人民大衆の言説があるレベルに到達している必要があり、それには、経済がある期間機能して、様々な言説が歴史的に形成されている必要があった。
 明治以前から続く経済社会が存在したということが、日本近代文学が生まれえた根拠だった。
 以前の日記に、河野多恵子が日本では自殺した作家が残ると書いていると書いた。自殺した作家が残るというと当たり前のようだけれども、自明のことではない。かつて日本に、自殺した作家が残る時代があったと言ったほうが良いと私は書いたけれども、それはこういうことだ。人を殺しうる言葉、人を死に追い込む現実の力を持った言葉で、明治以前からの歴史の連続性のうえにないものは一つもないということだ。

 以前の日記に私は次のようなことを書いていた。

日本近代文学の起源としての性


 フロイトが人間の芸術や学問の活動の原動力を、生の欲求ではなくなぜ性欲としたのかわかるようでよくわからなかったのだが、考えてみると人間の本能のなかで性欲は未知のものを求めさせるただ一つの欲求だったのだ。人類には性欲がインプットされていたために、共同体を超えて交通し、共同体を超える経済関係を作り上げ、共同体を超えるものを認識する主体となるよう運命づけられていたのだ。
 性は重要だが、性を核にして作られる関係性が重要なので、性自体に意味があるわけではない。言葉を成す一つ一つの音を分析しても無意味なのと同じだ。
 愛に本質があるとするなら愛には本質がないということだったんだ。
 西欧近代は女性差別ユダヤ差別の時代だった。イタリア、フランス、スペイン、イギリス、ドイツ、ロシアは、その近代文学の始まりに男女間の恋愛を扱う作品を持つことになった。男女間の恋愛に普遍的価値があるからではなくて、西欧近代が女性差別の時代であったために、男女間の恋愛にその本質が現れることになったのだ。ダンテがラテン語ではなくて俗語で詩を書いたのは女性に読んでもらおうと思ったからだった。西欧近代に国民的作家になろうと思ってなった者は一人もいない。確かにセルバンテスゲーテは国民的作家になりたいと思って当時の文学の王道だった劇作に精進したけれども、彼等には国民的作家になりたいという気持ちに反するものがあったために国民的作家となったのだ。西欧近代文学はダンテに始まってプルーストの「失われた時を求めて」に終わる。個体発生は種の系統発生をなぞる。プルーストは男女間の愛が発生して消え去るまでを経験した。その後で、第一次世界大戦を、西欧近代の終わりを見た。「失われた時を求めて」は、愛が発生して消え去るまでの、西欧近代が成立して解体するまでの物語だ。
 以上のようなことです。日本近代文学についての考察も、こういった考察と地続きにあります。例えば、次のようなものです。
 日本近代は女性差別と部落差別の時代だった。藤村は破戒で部落差別を、漱石虞美人草女性差別を表現することで、国民的作家への道を歩み始めることになる。封建的差別というけれども、藤村や漱石は江戸期封建社会とは異質の、近代日本に特有の差別を表現することで近代文学の作家たりえた。
 何年も前、一人の女性を愛していて、なぜか毎日死にたいという思いがわいてきた頃、カバンにはいつも中上健次の「地の果て至上のとき」を入れていた。死にたい思いに襲われたとき、「地の果て至上のとき」の文章を読むことだけが支えになった。中上健次は死ぬ前に「もう一度秋幸を書きたい」と言っていたそうだが、僕は恋愛をする秋幸を読みたかったと思った。あるとき「地の果て至上のとき」は実は愛の物語だったのに気づいた。秋幸は父だの故郷だのを求めたのではなかった。秋幸には愛する紀子を求める気持ちだけがあって、そこからすべての物語が始まっていた。そしてこれは部落差別の物語でもあったのに気づいた。「岬」や「枯木灘」と違って、秋幸が殺人を犯した後であるために、一見犯罪者差別としか見えないのだが、現代社会における部落差別のよりリアルな表現になっているのだった。カミュの「異邦人」が普遍的なのは、誰だって自分が殺人者となる可能性を否定できないからだ。ユダヤ人や部落民の物語であれば人事だと思っていられる人間であっても。
 日本近代文学は、自己を部落民に仮託することで自己表現を始めた作家に始まり、部落差別が、部落民に限らない、この日本で共同体を超えるものを求める者共通の運命であることを表現した作品に終わった、と僕は思った。

日本近代文学の起源

 半年程前、年少の友人に誘われて、ミクシィを始め、日本近代文学についてとか演劇と小説の違いについてとか愛についてとか、かねて考えていたことを折にふれて書いてきました。
 マイミクの日記に、性について書いてあったのに触発されて、日本近代文学の起源について書いたことがありました。次のような文章でした。